子供が被害者になる事件が増えた。
”いつまでも世間の好意に甘えて、親が登下校付き添わない日本の現状がオカシイ”
なんてコメントをどっかの新聞で見た。
オカシイかねぇ?
小学生の足で歩ける範囲でありながら、危険防止の為に親が登下校送迎がフツー……そこまでしないと子供の身の安全が守れない。
という方が、よっぽどオカシイと感じますが。
昔は近所のおじさん・おばさんがいて、自分のウチだろうが他所の子だろうが見て叱ってくれるのがアタリマエだった。
子供は親だけが育てるんじゃない。躾の基本は家庭ではあるけど、家庭外の社会に出たら親の目が届かない場が幾らでもある。
その目の届かない範囲を周り中がフォローしていたから、子供が犯罪に巻き込まれる危険性も回避できていた……そんな気がする。
それが成り立っていた日本は、世界に誇れる好い国だったと思う。
子供の社会性云々を考えても、近所の大人の目は大事。
オヤに注意されると”ウルサイ”けど、
他所の大人に注意されるのはとても恥ずかしかったし、その恥ずかしさから
”してはいけない事・社会のマナー”等を学ぶ事ができた。
ウチの子だけ見てれば他所のお子様はドーデモいい
じゃなく、
いけない事はいけないと注意できるのが目標。
ウチのチビ達も、そうやって叱って貰えると有難いし。
スーパー等で走り回っている小学生〜近くに来たら一遍注意したい!
と、てぐすね引いて待っていると……殺気(違)キケンを感じるのか、寄り付かないですよ。
赤の他人に注意・指摘されるのを、
”酷い恥をかかされた・余計なお世話”
と曲解する人が増えているそうで。
何でもイチャモンつけたいヒトの文句つけ は論外として、他人からの指摘貰えるウチが花ですぞ。
注意されると恥ずかしいけど、それで見直す機会を与えられる訳だし。
折角の見直しの機会を、
”よくも恥かかせたな、ムカツク!”
と他人様怒りに奔るのは、とても勿体無いと思う。
本当に”ドーデモいい”と思われたら、
”馬鹿はスルー”<冷笑失笑のオプション付きもアリ
で終わりだぞ……注意されるのは、それだけ改善の余地アリと見込まれてんじゃないのか?
何だか纏まらないけど……”人は人・我は我”だが、他人を”全くカンケーナシな生き物”と捉えるのは、一寸どうかなぁ??