沖縄地上戦に於いて。
「友軍が敵軍より恐かった」
「泣く子は殺してしまえ!と日本軍に強いられた」
なんてコトを日本史教科書で見た覚え有。
当時、ガッコーの教科書=事実 と信じておった己は↑も本当だと思い、疑う発想自体が欠片もなかった。
TVの戦争特番云々で、
「日本兵は野蛮」
と沖縄出身の戦争経験者が話す度、
「日本兵は身仕舞正しく、民草に惨い真似はしなかった」
と亡父から聞かされた様な。
(戦時中は
旧制中学在学、
勤労動員されたとか)
その頃は教科書のが正しいと思って居ったので、テキトーに聞き流しちゃったのだけど。
つい先日、『
白旗の少女』を読んでみて、あれ?と思った。
凄惨な沖縄戦の様相が未だ幼い少女の目線から語られるのだけど、
日本兵が蛮行をした描写は無い。
たまたま見なかっただけでは?
というのも在り得なくは無いが、著作内には 地上戦前の日本兵はウチナンチュへ礼を以って接していたり、住民達へ退避を呼びかけたりと、日本兵の良識ある言動のが目立つ。
コチラでも紹介されている通り、立派な日本軍人も居られたそう。
webで調べてみたら 沖縄絡みの米兵に拠る
蛮行記事、
沖縄問題と 寧ろ米兵の鬼畜ぶりの方が山盛りヒットした。(ロシア兵の
残忍ぶりも見つけた…)
勝てば官軍・
戦勝国だから表に出ないだけで、米兵の蛮行たるや凄まじい……良識ある米兵も居ただろうが、平気で残虐行為をする米兵がとても多かったのも事実 というコトかな。
↑の著作中、
『泣いたり大声を上げたら敵の機銃掃射の的になるので、苦痛の余り叫び声を上げそうな重傷の傷病兵・
泣き止まない子・
騒ぐ子が已む無く殺された』
と有。
日本兵達や住民揃って洞窟へ避難し皆で隠れていたので、的になる音源有→機銃掃射となった際、1人の為に大勢が危険に晒される、拠って周りを生かす為に殺す という。
これが「泣く子は殺せ」の一例か?それ自体は恐ろしい行動と感じるものの、苦渋の選択だとも解釈出来る。
一寸して。
子供や乳児の泣き声でも的にされる というコト自体が異常ではないか?
と気付いた。
当時の米軍索敵手段がどうだったのかは判らないが、声が上がれば非戦闘員かどうかも確認せず、機銃掃射をかましていた と見るのが妥当か?
一寸でも気配を立てたら機銃掃射の嵐、又は無差別爆撃で逃げ惑いでは、民間人の神経は参ってしまうわな。
いつ果てるとも知れない攻撃の中を逃げ続けるより、いっそ一思いに という選択肢が過ぎっても不思議ではない。
そう考えると、どうにもこうにも正常な精神で居られず、泣く子を……というのも在り得る。
音源は塞げ の派生で已む無くだったにせよ、保護者側の精神がいよいよ参って一思いに だったにしても、日本兵の蛮行で「殺された」とは違う……人命を軽んじての選択ではないと、そう思いたい。
沖縄問題を読み進めると、
『「日本軍の犠牲にされた」と証言する方が補償金が貰えるので、「偽の証言を」となった』
なんて
記事も有。
日本兵の
身仕舞正しさを読むと、何となくだが「そういうコトかいな?」と納得出来たりもする。
実際、目撃した訳ではないから真実は判らないけれど、
「友軍に蛮行された」は無しかな。