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日記・一般※今日の記事では、反面教師として大河ドラマの”
江”
が槍玉に上げられ……を参考資料に、色々と思う処を書いています。
そんなんで、只今 放映中の大河ドラマ好きvって方は、回れ右が吉。
ええ。イマドキの大河ドラマへの文句がたらたら……なんですわ;本日の読売新聞31面に、『
江〜姫たちの戦国〜』の評が載っていた。
上野樹里が10歳足らずの少女を演じるのは、かなりの無理がある。
とはいえ、これは演出方針としてひとまず目をつぶるにしても、見過ごせないのは本能寺の変後。
野武士に捕らえられた江が明智勢に引き渡され、安土城で光秀と対面する場面だ。
(中略)
副総局長は
「江の若い頃は記録がなく、不明の分が多い。
そこはフィクションで」
と説明した。
もちろん、大河ドラマは歴史の教科書ではなく、史実を踏まえたうえでのフィクションとは十分承知している。
しかし、「あったかもしれない可能性」と「どう考えてもありえない絵空事」とは違う。
江が
「なぜ伯父上のお命を奪ったのですか」
と光秀を問い詰める設定には、リアリティーも説得力も全く感じられなかった。
噴飯物は、信長も光秀も死を前にして江の名を口にし、遠くにいる江に語りかける場面。
死に際に吐く言葉だろうか。
物語の展開も周囲の人物の描写も、主人公をひたすら引き立てるためにあるとしたら、それこそ「ご都合主義」という。
読売新聞 2011.2.22朝刊 31面より引用
この評に深く同意。
大河ドラマだから、
「作り事があってフツー、史実と違うアレンジも一杯あるよ」
と承知で観ている。
でも、それは、
「視聴者が納得出来る脚本や演出が有」
が大前提なんだよね。
史実に沿って年端も行かぬ小娘年齢にしろ、ドラマの見た目通り何処やらの姫君設定にしろ、戦国武将ですら命懸けだった
伊賀越えに同行?
巴御前如きの規格外な女傑、という設定なら判るけど。
非力な娘の同行を許す、ってのがアリエナイ。
作中、どうしても江を同行させなければならない理由も見えず、この辺で もう視聴者置いてけぼり な感が。
江と信長・光秀の距離が近過ぎる。
信長にとって、江は数多く居る姪の1人。
信長は、江の父親代わりとなって懇意という設定でもないのに、死の寸前でも魂魄となっても気に掛けるのは江のコトばかり。
天下太平まで後僅かで討たれました、って場面なのに、どうして江が最優先なのか?
「逆臣の不意討ちを防げなかった、この事実は 今どうこう言っても仕方ない」
の意味で”是非に及ばず”と呟いたんだべ??
<信長@本能寺の変
そんな切羽詰った状況で抗戦して、何で江???
信長にとって、天下太平の望みよりも江のが重要事項なんかい????
今回の本能寺では、信長の無念は欠片も感じられませんでしたぞ。
この物語を進める上で、本能寺は避けて通れない処。
江達三姉妹や、お市の方の身の振り様に関わるターニングポイントですからな。けども、本能寺の其処此処で江のイメージをちらつかせる必要は全く無い。
信長の今際の際まで「……江」尽し、スルーされた
濃姫の立場は、、、;
光秀も最期に「江……」
下克上成功為らず夢破れて死ぬトコで、何で「江」;
史実じゃ有り得んけど、
江=天下取りに必要不可欠
chinaにて。皇帝様を抱えれば権力者……よろしく、江を擁立すれば天下人v
こんな設定(↑)でストーリーを進めるなら、信長も光秀も「江」しか眼中に無い!で判るけどさ。
「江が主人公・ヒロインだから、至るトコ出張ってるんです」
と言うなら、ご都合主義ストーリーと言わざるを得ない。
登場人物の全て、主役を引き立たせる添え物?
主役以外のポジションであっても、各々が何かを考え思い、色々と感じて行動する。
そういったヒトらしさを表現して、リアリティが生まれるモンだと思うが。
どんな状況でも四六時中「江」じゃあ、皆 「江のコトが最優先な役割のお人形」になってしまう。
江が主役なら、江の目線・主観メインで話進めれば好いのにねぇ……。
今のままじゃ「江の物語絵巻」じゃなく、「”江の為”のオハナシ」だよ;
……と、色々書いたけど。
己が読み物についても、似た様なコトが言える感が。。。(死)
それについては、出来ないなりにやってくしかないですな;